ソクラテスの弁明 20ページより
(六)さて、考えていただきたい、なぜ私がこんな話をするかということを。
それはどこからこのような讒謗が私に対して起ったかを諸君に向って説明しようとしているからである。
その神託をきいたとき、私は自問したのであった。
神は一体、何を意味し、また何事を暗示するのであろうか、と、私が大事においても小事においても賢明でないということは、よく自覚しているところであるから。
して見ると、一体どういう意味なのであろうか、神が私を至賢であるというのは。
けだし神にはもちろん虚言のあるはずがない、それは神の本質に反するからである。
かくて私は久しい間神の意味するところについて思い迷ったが、ついに苦心惨憺の末ようやく次のような神託探究法に想到したのだった。
私は賢者の世評ある人々の一人をたずねた。
そこにおいてこそ―もしどこかで出来ることなら―神託に対して反証をあげ、そうしてこれに向い、「見よ、この人こそ私よりも賢明である、しかるに汝は私を至賢であるといった」と主張することが出来るであろう、と考えながら。
そこでその人を充分研究したとき―その名前をいうことは無用であるが、アテナイ人諸君、私が吟味している際に次の如き経験をしたのは、政治家の一人であった―彼と対談中に私は、なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、しかしその実彼はそうではないという印象を受けた。
それから私は、彼は自ら賢者だと信じているけれどもその実そうではないということを、彼に説明しようと努めた。
その結果私は彼ならびに同席者の多数から憎悪を受けることとなったのである。
しかし私自身はそこを立去りながら独りこう考えた。
とにかく俺の方があの男よりは賢明である、なぜといえば、 私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていないからである。
されば私は、少くなくとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる。
それから私は、前者以上に賢明の称あるもう一人の人をたずねたが、まったく同様の結論を得た。
かくて私はこの人からも他の多くの人達からも憎悪せらるるに至ったのである。
「無知の知」、「不知の知」のはじまりである
クリトン 74ページより
「一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである」
(その直後に)「善く生きることと、美しく生きることと、正しく生きることとは同じだ」
善き友よ
本文に「無知の知」という言葉は出てこない
「無知の知」という四字熟語は、後世の日本で内容を分かりやすく要約して作られた言葉です。そのため、本文をいくら探してもその単語自体は見つかりません。
久保勉氏の翻訳では、該当箇所は以下のような文章で表現されています。
「わたしはこの人よりも智慧(ちえ)がある。何となれば、われわれ二人は善美の事柄について何一つ知っていないと思われるのに、この人は知らないのに知っていると思つてをり、わたしは知らないから、その通りにまた、知らないと思つてゐるからである」
この「知らないから、その通りにまた、知らないと思っている」という自覚の一文が、いわゆる無知の知を指しています。
ソクラテスの「無知の知(むちのち)」は、単なる「自分はバカだ」という自己卑下ではなく、「自分が何を知らなくて、何を分かっていないのかを、正確に自覚している状態」を指す、極めて知的な態度のことです。
紀元前470年頃に古代ギリシャで生まれ紀元前400年に70歳で死刑
紀元前400年は今から西暦2026年+紀元前400年=2426年前になるが日本は縄文時代の晩期から弥生時代の早期・前期へと移り変わる過渡期で文字を持たず、土器(縄文・弥生土器)を使用していた。
孔子(儒家)は 紀元前479年に亡くなっており、ソクラテス(紀元前470年生まれ)の少し前の世代にあたります。紀元前400年頃は、彼の教えが弟子たちによって広められ、深められていた時期です。
